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「私たちは神のメッセージを聞き逃しています。」
(The Towers Have Fallen - But We Missed the Message)


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By David Wilkerson 2001年10月8日
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2001年9月11日 火曜日、ニューヨークにあるワールドトレードセンターのツインタワーが破壊されました。5日後、 このメッセージを用意している時に、私はアパートの三十階にある書斎の窓から外を眺めました。大きな煙の雲が まだその廃墟からくすぶり出ていました。そして、それらの煙は瓦礫から出て、ハドソン川上を漂い、自由の女神の 上空を過ぎていました。

次の日曜日、タイムズ スクエア チャーチで私がこのメッセージを語ったちょうど前、そのひどい廃墟の光景を見て 私は涙を流しました。主に哀れみを請いました。愛する者を失い、悲しみにある家族への哀れみです。 生存者を発見することを望みながら、未だ瓦礫の中を掘り続けるものの、遺体と体の一部しか出てこないといった状況で 働く救助隊員たちへの哀れみ。説明しようのない惨事を目の当たりにし、人目もはばからず涙を流すすべての警察官、 消防士、ボランティアスタッフへの哀れみを。

私たちの教会は被災地のゼロ地点(爆心地点)にて救助テントを張ることを許されました。私たちの会衆からの ミニストリーリーダーたちとボランティアのスタッフは時間を度外視し、たゆみなく、疲れた救助隊員たちに食事を与え、 また励ますサポートをしてくれました。

実は惨事の6週間前、聖霊は私たちの牧会スタッフに災難が訪れることを前もって警告していました。 数週間後には、私たちは宣教大会、青年大会を含むいくつかの大きなイベントを予定しておりましたが、 神の霊は私たちにすべてをキャンセルさせるよう促しました。そしてその代わりに、私たちは会衆に祈りを呼びかけるよう 駆り立てられたのです。

私たちは週に4晩、祈祷会を持つことを決めました。それぞれの集会は、実に初回から会衆の上に降りた重々しい静けさで 印象付けられました。主の臨在の中で、静かに私たちは、時には全く音もなく1時間もの間ただ座っていることもありました。 そして、静かな涙と悲痛な悔い改めがそれに続いたのです。ある集会で、私は神の重々しい臨在の中で震えが止まらず、 ひざを手で抑えなければならないこともありました。

この主の訪れの間、聖霊は、私たちの心の中にある嘆き悲しみには理由があることを教えてくれました。 私たちの心はたいへん揺り動かされていました、それは災いがやって来る故のものだったのです。過酷な災いが国に迫っていました。 そして、たとえ私たちはそれが一体何なのかわからなくても、私たちの心はそのことに関してとりなしの祈りをするよう動かされたのです。

そして突然、惨事が襲いました。それは私たちの街だけでなく、国の首都をも襲いました。あるニュースのアナウンサーははっきりと言いました。「考えても見てください。私たちの力と繁栄の2つのシンボルが1時間の間に打ちひしがれたのです。」彼は想像もしなかったでしょうが、彼は黙示録の18章10節を引用していたのです。「ああ、大いなる都バビロン、不落の都!1時間でおまえに対する裁きはやってきた。」

私たちの教会に属する一人の警察官がゼロ地点にて救助活動を行っていた際、仲間の警官は彼に問い続けました。「一体これは何なんだ?何が起こったって言うんだ?」 と。そうしているうちに、国中が問いだしました。「神は一体こんな時にどこにいるんだ?」と。私たちがこの問いを持つことは間違ったことではありません。この惨事の中、神がどこにいるのかということを私たちは知る必要があります。そして、それを知るには、神の聖なる御言葉のみに信頼をおかなければなりません。私たちはすでにメディアの専門家や政治家から何百もの意見を聞いております。しかし、彼らのレトリックはみんな同じように聞こえ出しています。この突然の破壊の意味に関して真の理解がなされていないのです。

一つだけ、私が皆さんに断言できることがあります。私たちは神に不意打ちをかけることができません。神はすべての人間が考えていることを知っております。それはすべての統治者、独裁者、テロリストを含みます。主は、全人類のひとりひとりの動きを監視しておられます。主は私たちが座るときも立つときもご存知なのです。そして、皆さんに確実に言える一つのことは、神はすべてを支配されている、ということです。主が知ることなしに、地球上では何ものも起こりえません。それには主の許しが要ります。また時には主ご自身がその後ろで事をなされます。


あなたがクリスチャンなら、神がアメリカ、そして世界中にこの惨事を通して、
メッセージを届けたことはおわかりでしょう。


牧師や神学者たちはどこでもこう言っています。「神はこれらの惨事とは何の関係もありません。神はそのような恐ろしい事が起こることをお許しにはならないでしょう。」 しかしながら、そのなかに真実はありません。このように考えていては、私たちの国は神が私たちに悲劇を通して伝えたいメッセージを即座に逃してしまうことになります。

実際、私たちは神から御言葉を受け取らなければなりません。多くの牧師たちのように、私はこのひどい惨事に涙し、嘆き悲しみました。祈りの中や御言葉を通して主を求めました。そして、皆さんにお話したいのは、私は罪の無い人々が死んでいく悲しみよりもより深くさえある悲しみを体験したことなのです。その深い悲しみとは、もし私たちが神のメッセージを聞き逃せば、もし私たちが神の大きな声で語ることに耳を貸さなかったならば、もっととんでもないことが私たちを待ち受けているというものなのであります。

預言者イザヤは私たちがちょうど経験したことをずばり語っています。(もし、旧約聖書を例に用いることに反対でしたら、そのテーマにおいてパウロが言っていることを考えてください。「これらのことが彼らに起こったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちに対する訓戒のためである。」(コリント人への第1の手紙10:11)パウロは明らかにしています、旧約聖書の例は、神が今のような時代においてどのように行動されるかを啓示してくれるのだと。)

イザヤが預言した時代に、神は約250年もの間、忍耐強くイスラエルに対してふるまっておられました。主はイスラエルの人々に悔い改めを求めて、「軽い苦悩」を与えられました。神は人々をブロンズの偶像から離れさせ、彼の祝福と愛の内に戻らせようとしたのです。

すべての預言者は、何年もの歳月を通してイスラエルに対し、欠いてはならない同じ御言葉を語りました。「へりくだりなさい。」と。聖書は言います。「彼らは偶像に仕えた・・・ 主はすべての預言者、先見者によってイスラエルとユダを戒め、『翻って、あなた方の悪い道を離れ、私の戒めと定めとを守れ。』」(列王記下17:12-13)と。

しかし、神の選ばれし国は、悔い改めの呼びかけを拒みました。「彼らは聞きいれず、強情であった。」(17:14)これらの民はへりくだりを呼びかける預言者たちを嘲りました。そして、むしろ彼らは「むなしい偶像に従ってむなしくなり、その神、主のすべての戒めを捨て・・・主の目の前に悪を行うことに身をゆだね・・・それゆえ、主は大いにイスラエルに怒った。」(17:15-18)


神はイスラエルにウェイクアップコール(目覚まし)を送った。


主からイスラエルへの最初のウェイクアップコールはアッシリアの侵略の中でやってきました。この狡猾な敵はゼブラン、ナパタリというイスラエルの二つの州を攻撃しました。幸運にも、攻撃はこれら2つの地点に限定されましたから、被害は最小限なものでした。しかし、神は明らかに民に語りかけていたのです。主の選ばれし国はもはや安全という概念は持たなくなりました。しかし、彼らはまだ神の語りかけるメッセージを聞き逃していたのです。

そうして、イスラエルは2回目のウェイクアップコールを受けることになります。今度はとてもとても厳しいものでした。聖句が「イスラエルの敵」と呼ぶ2つの国、シリアとペシリテが連合を組んで奇襲攻撃を仕掛けてきたのです。イザヤによるとこの攻撃は 「前から、後ろから」(イザヤ書9:12)これは侵略者が東から西からやってきて、イスラエルを取り囲んだということです。そして、それらは突然で全くもって破壊的でした。

ようやくメッセージの核心に迫ってきました。そして、多くのアメリカ人が持つ疑問にお答えしましょう。神の選ばれし地へのこの突然の侵略の中、神はどこにいらしたのでしょうか?降りかかった災いから、人々は何をなすべきだったのでしょうか?イザヤは私たちに、神は誠実に彼の民に語りかけると言います。「主はひと言をヤコブにおくり、これをイスラエルの上にくだされる。」(イザヤ書9:8)神ははっきりとした言葉を発しておられます。そして、国中にメッセージを送ったのです。

愛する皆さん、この節は私たちのこの荒廃した時代において大変重要なことを語っています。それは単に、「神はいつも御言葉を送られる。」ということなのです。歴史の中でも、神は災いが起こった時、手がかりを残さなかったことは一度もありません。神は決して私たちを見捨てませんし、また自分たち自身でなぞを解くようにさせたりはしません。神はいつも理解のできる御言葉を与えてくれるのです。

現代でさえ、主は神の見張り役を立て、この時代において神のために語らせようとしています。これらの羊飼いは神の御顔を求める時、悲嘆にくれ、涙を流し、悔い改めているのです。そして、彼らは現在の出来事の裏にある主のメッセージを聞き、理解しているものと私は信じます。さらに、彼らは恐ろしい警告を示すことを恐れないことを信じます。なぜなら、彼らは彼ら自身神から聞いたことをわかっているからです。彼らは私たちの惨事の裏にある神の目的のことをいやでも話さなければならないのです。


私は、誰も聞きたくない御言葉を話さなくてはなりません。


多くの読者には私がこれから伝えようとする御言葉は受け入れないでしょう。彼らは、こんな悲嘆に暮れている時に、心のない、狂った、意地の悪いものと考えるでしょう。しかし、私は話します。もし私たちが神の真理を知り、それを直視しなければ、私たちの国は破滅への運命をたどります。これがたった今私に聞こえる主の語りかけです。「それゆえ、主は敵を起こして彼らを攻めさせ、そのあだを奮い立たせられる・・・しかもなお、この民は自分たちを撃った者に帰らず、万軍の主を求めない。」(イザヤ書9:11、13)

聖書は水晶が透き通るように明白に言います。神は敵なる国々を自らの民を懲らしめるために使うと。主はこれらの敵をイスラエルに警告を与えるための道具として使い、悔い改めを呼びかけるのだと。「ああ、アッスリアはわが怒りのつえ、わが憤りのむちだ。私は彼をつかわして不信の国を攻め、彼に命じてわが怒りの民を攻め、かすめ奪わせ、彼らをちまたの泥のように踏みにじらせる。」(10:5−6)

神はこのイスラエルに敵対する同盟国に、彼の選びし民を懲らしめる役を与えたのです。主はイスラエルに警告を与えようとしていました。「あなた方は自分たちの高慢な心で持っておごり高ぶった。今、私はあなた方を地に落とす。私は、あなた方に自分たちの敵の手によって懲罰を受けさせる。」

敵の同盟国は強力な攻撃をかけました。そして、突然イスラエルの民は、彼らの建物が崩れ落ちだすとき、恐怖でもってそれを見守ります。火が町中で起こり、荘厳な建物を焼き落としていきました。短時間でイスラエルは火の海となり、神の民は声をあげて泣き叫びだしたのです。「かわらはくずれ・・・くわの木は切り倒され」(9:10)

今回ニューヨーク、ワシントンでの惨事を目撃した今となっては、古代イスラエルの民の感情を想像することは可能です。しかし、イスラエルはこの恐ろしい攻撃の後、悔い改めたでしょうか?神が彼らに警告を出されたということが国中で認識されたのでしょうか?統治者は神が、その恐ろしい災いを通して何か語られているのを聞いたのでしょうか?Noです。イスラエルの反応はまさに反対でした。民の当初あった恐怖はすぐさま、国民のプライドの洪水に押し流されてしまいました。「すべてこの民・・・彼らは高ぶり、心おごって言う、」(9:9)

この節のおごりとはヘブル語では気高い気持ちを示します。別な言葉でいうと、攻撃が終わるやいなや、イスラエルの民は彼らの自信を取り戻したということです。彼らは明言します、「かわらがくずれても、われわれは切り石をもって建てよう。くわの木が切り倒されても、われわれは香柏をもってこれにかえよう。」(9:10)彼らは別な意味でこう言っているのです、「これらの災いは私たちの主から来たのではない。それらは単に運命、説明しようの無い不幸な災難なのだ。

我々は気高く、強い国である。我々は誇り高き、不屈の民でなりたっているのだ。そして我々は世界に、我々が復活することを知らしめよう。我々はすべてを前より大きく、よりよく建てなおす。前にレンガを使っていたところは、石を使う。かつて安く建てた建物は、よりよい材料を使って建てなおす。我々は神に祝福されている国である。そして、我々はこの災難を前より、より強くなって切り抜けるのだ。」

これには全くもって聞き覚えがありませんか?主ご自身が自らの民に懲らしめの警告を送るべく、邪悪な敵を使ったのです。主は彼らの目を覚まさせることにより、自分と和解し、自分のもとに連れ戻し、祝福を彼らに注ぎ、自分の保護でもって彼らを包み込むことを欲していたのです。しかし、神の民は嘆きと恐怖の日々、最初から終わりまで神の御手がその中にあることに一度も気づかなかったのです。そして、誰も尋ねはしませんでした。「主はこれらすべてを通して何を言わんとするのでしょう?神は私たちに何か語りかけようとしているのでしょうか?」 誰も一瞬足りとも、そのような誇り高き、偉大な国がくじかれ、懲らしめを受けたのではないかとは考えませんでした。その反対に、それらの民はその機会をあらゆるそのような考えを打ち消すことに使ったのです。彼らは神が彼らに出された警告をはねのけました。

あなた方に尋ねます。イスラエルの例は、ここ最近私たちが目の当たりしたすべてを思い返すと、皆さんにとって的を射ていることだと思いませんか?どうか、誤解しないでください。私は、道徳ある大統領が私たちの国を引っ張っていることを神に感謝しています。私は、上級官職についているすべての敬虔なクリスチャンたちのことを主に感謝しています。私たちの教会はわが国の指導者たちのために絶えず祈っています。そして、国中で祈りが一時的にせよ沸き起こっていることに感謝しているのです。人々が目を覚まし、自分たちの生活のあり方を考え直しだしていることを見るのは励みになります。

しかしながら、そうであっても、私たちは、私たちに向けられた神のメッセージを聞き逃す危険性を持っております。考えてもみてください。公の集会にて黙祷を求められる時、私たちはそれを真の悔い改めだと考えます。政治家が 「アメリカに神の祝福あれ」を歌っているのを見る時、私たちは我国が神のもとに帰ったのだと思います。スポーツの試合のハーフタイムで、黙祷を見る時、霊的な体験であると考えます。

しかし、これが今回の惨事から出てくることのすべてなのでしょうか?スポーツスタジアムにいる人々は1分間立って黙祷した後、すぐさま野蛮な色を自分の体に塗る作業に戻り、次から次へとビールを飲み、そしてお気に入りのチームのために狂ったように叫ぶというのでしょうか?

多くのアメリカ人と同じように、私は上院議員や議会の指導者たちが連邦議会議事堂の階段で立っているのを見た時、涙を流しました。「アメリカに神の祝福あれ、われらのそばにおらせたまえ、導きたまえ…」 しかし、私が涙を流しているとき、主が思い起こさせてくれました、「今あなたが見ているそれら歌を歌うリーダーたちの多くは、私をアメリカの社会から除いてしまおうとしてきた者たちだ。彼らはアメリカの歴史書から私の名前を取り除いてしまおうと心に決めてさえもいる。そして、彼らは避妊中絶でもって何百万という赤子を殺すことを許している。」

突然、私はそれらすべてが全くの偽善であることに気づき、愕然としました。私たちはリップサービスを神に対して行います。しかしながら、私たちはモラルのない泥沼にはまり続けるのです。


神の懲らしめの下にあるとき、国が取る反応には2つある。


国は懲らしめにある時、謙虚になり、悔い改めることがあります。ネヘミアがしたようにです。もしくは、神にリップサービスをしながら、自分たちの力でもってその懲らしめを越えようとします。以下のような掛け声があるでしょう。「我々にはどのような災いにも耐えうる強さがある。そして、我々にはどのような問題でも克服する能力と決意があるのだ。我々は真に偉大な国なのだ。」と。

私にも他のどのアメリカ人と同様に愛国心はあります。そして、私たちの国が経験している一致団結にだれもがそうであるように私も感激しています。私は、テロリストの攻撃のすぐ後で私たちが見た英雄的努力と驚くべき犠牲に関して、主に感謝しています。世界中がニューヨーク、ワシントンDC、そして全般的にアメリカが見せた不屈の精神と愛に畏敬の念を抱いています。

しかし、私たちはイスラエルが犯した同じ危険に直面しているのです。私たちの熱烈なる愛国心の中おいては、私たちは簡単に神の私たちへのメッセージを聞き逃す可能性があります。そして、たった今、私たちはイスラエルが立った同じ岐路に立っているのです。

私は考えます。もし、私たちがイザヤの時代に生きていたなら、私たちは彼の預言よる警告を聞いていたであろうか、と。私たちも主に耳を傾けなかったのではないだろうか、と。エルサレムとユダの国、両方とも自分たちが没落の途にあることを信じませんでした。「わたしはサマリヤとその偶像に行ったように、エルサレムとその偶像に行わぬであろうか。」(イザヤ書10:11) つまり、神はこう言っていたのです。「私はあなた方が拝しているまさにその偶像がゆえに、他の国々を裁いた。それでどうして、あなた方を裁かないことがあろうか?何を持ってあなた方が私の法から逃れることができるというのか?」

アメリカ中で、人々は 「祈りと追悼」 のための集会を持っています。亡くなった方々を思いしのぶことは正しいことで、誉むべきこと (まったく聖書的) であります。しかし、どうして、私たちは、「祈りと悔い改め」 の集会を呼びかけることをそんなに恐れているのでしょうか?たった今、ほとんどのアメリカ人は追悼と復讐に関心を持っています。しかし、アメリカの中で神のもとに帰らせようとする呼びかけはどこにあるというのでしょうか?

テロリストの裁きに関しては、イザヤがこのことを同様に述べています。彼は明らかに言っております。「主がシオンの山とエルサレムとになそうとすることを、ことごとくなし遂げられた時、主はアッスリア王の無礼な言葉と、その高ぶりとを罰せられる。」(イザヤ書10:12)まことに、神がアッスリアを 「我が怒りのつえ」 として使い終えたとき、神は彼らを滅ぼしました。同じように、神は、罪の無いの民を攻撃し、殺害したいずれのテロリストも滅ぼします。彼らが地獄における永遠の運命に出くわすまで、そう長くはないでしょう。


これが私たちの災いの中で神が大きな声で告げていると私が信じるメッセージです。


私には、心の奥深くで主が語られるのが聞こえます。「私はすべての国に増してあなた方を繁栄させてきた。しかし、何年もあなた方はずっと金や銀の偶像を拝している。私は、あなた方の恥知らずな肉欲と聖なるものへのあざけり、罪無き者たちの流血、社会から私を除こうとするあなた方のたゆまぬ奮闘にこれまでずっと耐えてきた。しかし、それももう今、時間切れとなりつつある。」

「私はあなた方に預言者を次々と、また世の見張り役を次々と送り出した。あなた方は何度も何度も警告を受けてきた。しかし、まだあなた方は悪しき道を悟ろうともしない。今、私はあなた方を打つ。あなた方を救うために。私はあなた方の土地を元通りにしたい。それは敵を滅ぼすためであり、あなた方を私の祝福の内に引き戻すためである。しかし、あなた方はそれを見分ける目を持っていない。」

神が自分を除外してきた国々を見逃すことがないならば、どうしてアメリカを見逃すことがありましょうか。神は、ソドム、ローマ、ギリシャ、すべて自分に背を向けてきたすべての文化を裁いたように、私たちを裁くでしょう。

神がエゼキエルを通して語られたことを考えてください。「あなた方はすべてのとがを捨て去り・・・新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなた方はどうして死んでよかろうか。わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなた方は翻って生きよ。」(エゼキエル書18:31-32)

神が痛みを感じておられることに疑いを持つ人にとっては、これが神の大いなる思いやりを明白に示す証拠です。神も同様に死に対して嘆き悲しみを感じておられるのです。この節にて神は私たちに言っています。「あなた方が苦しみ、死ぬのを見ることに喜びはない。それ故、私は今あなた方に訴えている。罪から離れ、そして生きよと。」

神は特にそれらの災いが罪なき者たちの上に起こったことに嘆き悲しんでおられます。この数週間、イエス様はテロリストの攻撃の犠牲となった者たちのために涙を流しておられることは確かです。彼は「聖徒たちの涙をボトルに取る」と言われています。本当に、私はクリスチャンが流した涙の多くは神の涙そのものであると信じます。私たちの中にいる神の聖霊によって誘発されたのだと。

しかし、おりおり神の義、高潔さが彼の哀れみを抑えることになります。そして、神は最後の手段として、義なる裁きを成すことを余儀なくされるのです。このことの最も大きな例は神の御子、イエスの犠牲です。義は、世界中の罪をひとりの罪無き者の上にかぶせ、そしてこの者にすべての人のために死ぬことを求めたのです。教えてください。神の御子よりも罪の無いものがこの世にいるでしょうか?しかし、キリストは人類すべてに解放と救いをもたらすために、進んで自らを捧げ物としたのです。


もし私たちが神のメッセージを聞き逃したなら、アメリカはどうなるのでしょうか?


私のもとに帰りなさいという神の呼びかけを私たちが跳ね除けたなら、私たちの国の運命はどういうことになるのでしょう?中絶が続き、胎児が研究のために使われるとしたら・・・もし、私たちが私たちの救い主の名前をアメリカの歴史から消し続けるとしたら・・・もし、私たちが自分たちをより富ませるためにすべてをより大きく、よりよく建てなおしたら・・・もし、もし、私たちが神に力を求めるよりも自分たちの武力に拠り頼んだとしたら?

イザヤは神を拒み、自らの偉大性を誇示したすべての国に起こったことについて記述しております。「悪は火のように燃え・・・ それらは煙の柱となって巻きあがる。万軍の主の怒りによって地は焼け、その民は火の燃えくさのようになり、だれもその兄弟をあわれむ者がない。彼らは右手につかんでもなお飢え・・・おのおのその隣の人の肉を食う。」(イザヤ9:18-20)

広がる炎は天までとどくほどでしょう。闇が地を覆います。経済は驚異的な打撃をうけるでしょう。そして、分裂が国の中で、それぞれの地域で、近所で、家庭で起こります。人々は自分だけのことを案じ、生き残るために無我夢中で争います。そして神は、それらがあなたに迫った際、あなたを救ってくださるのです。

九年前、私は予言的メッセージを与えられました。そして、1992年9月7日にタイムズ スクエア チャーチにてそれを取り次ぎました。今、そのことを皆さんに話させてください。

「この警告はあなた方を怖がらせようとするものではありません。それは単にあなた方を主のもとに導き、祈らせるためのものであります。これは神が私に示してくださったと信じる事柄です。: 30日の懲らしめがニューヨークに降りかかります。それは世界が未だかつて見たことの無いほどのものです。神は壁を崩します。想像できないほどの暴力と略奪があります。暴力はとても凶悪なものであり、世界中に衝撃を与えることでしょう。街の通りは単なる護衛兵ではなく、軍隊が並ぶことになります。

何千もの火事が同時に街中で起こます。ロス・アンゼルスでは街のいくつかの区域に限定されますが、ニューヨークはすべての区域で炎が上がります。タイムズ スクエアは燃え上がり、炎は天まで上がるため、何マイルも離れたところからでも見られるほどです。消防車はまったく成す術がありません。

電車、バスはストップし、何十億ドルというお金が消えていきます。ブロードウェイのミュージカルは完全に中止です。ビジネスのニューヨーク離れは止められなくなります。そのようなことは第3国にて考えうることで、合衆国のような文明国ではとうてい考えられないことです。しかし、そう遠くない将来、ニューヨーク市は完全に破綻してしまうでしょう。女王の街は地に落ち、貧困の街となります。

あなた方は、それがいつ起こるのですかと尋ねるかも知れません。私が唯一言えることは、それが起こる時、私はここにいるだろうということです。しかしながら、そのことが訪れる時には、神の民はパニックに陥らず、恐れもしません。」

電話や伝言が私たちのミニストリーの事務所に殺到し、聞いてきました。「9月11日のテロリストによる攻撃は、あなたが1992年に預言していた災いなのですか?」と。いいえ、ぜんぜん違います。私が見た、やがて来るべきものはもっともっと厳しいものです。実際、もしアメリカが、我がもとに帰れとする神の呼びかけを拒んだなら、私たちはイスラエルが直面したものと同じ裁きを受けることになるでしょう。そして、それらはニューヨークだけではなく、国のあらゆる地域を直撃することでしょう。中心地域でさえも、見逃されることはありません。国の経済は崩壊し、暴力が沸き起こります。炎は街を焼き尽くし、戦車はゴロゴロ音を立てて進むことでしょう。

おそらく、あなた方は私がそうであったように、こう思うかも知れません。「このことは避けられないのでしょうか?」と。ええ、もちろん可能です。私は信じております。もし、私たちの大統領がヨシュアであるとわかれば、私たちには執行猶予が与えられると。皆さんはヨシュアを、熱心に主を求めた王としてよく覚えていることと思います。私たちすべて、私たちの大統領が神の御言葉におののくように、ヨシュアが持っていた同じ霊を主が与えてくださるように祈らなければなりません。主は以下のことをヨシュアに語りました。

「見よ、私は災いをこの所と、ここに住んでいる民に下そうとしている。彼らが私を捨てて、他の神々を拝したからである。しかし、主に尋ねるために、あなた方をつかわしたユダの王にはこう言いなさい。あなたはこの所とここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、のろいとなるであろうと言うのを聞いたとき、あなたは心に悔い、主の前にへりくだったため・・・わたしもあなたの言うことを聞いたのであると主が言われる。それゆえ、見よ・・・あなたはわたしが下すもろもろの災を目に見ることはないであろう。」(列王紀下22:15-20)

つまり、神は王にこう言ったのです。「あなたがわたしの御言葉の前におののき、わたしに信頼を置いて政権に就いている限り、あなたは裁きがやって来るのを見ることが無い。あなたが権力の座についている間はそれらの事が起こることはない。」と。神の呼びかけに応答するチャンスの窓は短い間しか開いていないと私は信じております。すべて私たちは、私たちの国が悔い改め、主のもとに帰るように祈らなければなりません。しかし、私たちの多くの熱心な祈りは私たち自身の心のためのものでなければなりません。「主よ、災いに対してではなく、あなたの御言葉におののかせてください。このことすべてにおいてあなたの声を聞きたいのです。どうか、完全にあなたのもとへ私を帰らせてください。」

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